久しぶりに一人でバイクに乗って出かけてきました。
先日、チェーン交換を無事に終えたナナハン様です。
ネット上で気になる場所があり、高知の南国市まで行って帰ってきました。
昨日は、明けで昼寝したため、夜中の三時近くまで起きていましたが、8時前には目が覚めて9時には出発できました。
酷道193号線の塩江街道から徳島方面に。
県道12号線を走ってると、うどんの文字が見えてきてお店の前に行くと暖簾が下がっていて営業中だったので、入りますです。
メニューはこんな感じ。
お安いお値段です。
醤油の三玉を頼みましたが、出てきたのは二玉。
余程腹が空いていたのか、写真撮り忘れました(笑)
こちらの讃岐うどんと比べると、あまり腰の無い麺では有りましたが、薬味として付いてくる辛子がいい塩梅で、ズルズルッと行っちゃいました。
大歩危小歩危方面を目指して、途中から32号線に。
ひたすら南国市を目指して走りまする。
チェーン交換のおかげか、なんか車体が軽くなった様な感じ。
1800キロの中古で買ったときも、こんな感じだったんでしょうね。
とは言っても、結構マメに自作のチェーンオイルを指していたおかげか、その差はわずかな物ではあるのですが。
ただ、スプロケをケチったのが、今後どの様な影響が出てくるのか不明。
センスタかけて、ギア入れてやると伸びの無いはずのチェーンが所々波打ってますから(笑)
削れて無い様でも、スプロケット様は微妙に消耗されているようです。
ま、そんなこんなで無事に南国市に入りまして。
国道55号線で高知竜馬空港方面をめざします。
かつての大河ドラマの影響もあってか、竜馬の名前があちこちで目に付きます。
葬祭ホールにまで竜馬が付いてましたが、写真撮ってくれば良かった。
んで、前浜はこっち!と言う青看板に従い右折いたしますると。
戦時中の掩体壕がポコポコ見えてきます。
住宅地の中の畑や田んぼの中に全部で七つだったかな?壊されずにそのまま残っております。
ちょっと屋根に上ってみる事にいたしました。
これまでの物に比べると一番でかい掩体壕。
ナナハンが米粒のように見えまする。
爆撃機クラスでも入っていたものでしょうか。
この竜馬空港そのものが、昔は航空基地だったそうで、偵察隊の練習を主に行っていたそうですが、戦局が悪化すると、練習機の白菊に250キロ爆弾を二つぶら下げて作戦に参加したんだそう。
ここの基地の事を調べてみると、村を一つ潰して基地を作ったんだそうな。
それも、国からの命令だからとっとと出て行けっちゅう事で。
で、立ち退き料としてもらった5円だか10円だか忘れたけど、そんなお金を貰っても、次の場所で畑を買うことが出来なくて往生したと言うエピソードも残っているらしい。
それにしても。
白菊。
今の時代で言えばセスナみたいな物でしょうか。
自爆攻撃するしかない様な状態まで追い詰められて、仕舞には練習機まで借り出されてく。
当時のアメリカ様の対空砲火は、玉の中にレーダーが仕組まれて飛行機のそばを通過すると、それを察知して至近距離で炸裂してバタバタと落とされていたなんて話がNHKの特集で言われていました。
だから、大本営放送の流していた戦果殆ど嘘だと。
司馬遼太郎の何の小説だったか忘れたけど、アレはれっきとしたマスコミ操作に国民が騙されたと書かれていたのを思い出します。
そんな事実を頭の中に入れて、知覧の特攻記念館に保管されている、当時の飛行兵たちの家族に宛てた手紙見たらホントに涙が出てくるよ。
バタバタと目的を達成できずに海に沈んで行く命が殆ど。
それでも、今日は何隻沈めた。勝利したと。
しかし、どんどん戦地が本土に近づいてくる。
当時の世論の中、純粋に日本を守るために飛んでいった人たちの気持ちには敬意を払います。
ただね。
むしろこれを反面教師として、きちんと情報を精査する目を国民一人一人が持って、おかしな世論に流されない様にしていく事こそ、この人達の死を無駄にしない事になるんだと思います。
隣の大国と何やらきな臭い感じもするし、勝てもしない相手に勝てる勝てる。
今の時代も、なんか当時とあまり変わってない感じしないですか?
ほんと。
かつての航空基地も、いまではのどか風景。
確認できなかったのですが、掩体壕の中にはグラマンからの機銃掃射の縦走が60箇所も確認できる物もあったそうな。
この辺も、もしかしたら不発弾とか出てくるかもしれませんね。
さて、帰り道。
貧乏になってしまったので、昼食はこれ。
アンパンとクリームパン。
旨し!
32号線も山間部はあまり車が走っていませんので、いいペースで走れます。
大歩危小歩危を過ぎた辺りに、いくつか吊橋が掛かっておりまして。
前々から気になっていたので、ちょっと歩いてみる事に。
写真の角度からもお分かりの通り、高所恐怖症の為、真ん中まですらも行けなかったという・・・・
なんかの点検用の橋で、通行は規制してないようですが、観光目的で渡って何かあっても責任はもちませんよ!と別の橋の入り口には看板がたってました。
夜は母親のいる病院まで出張らなくてはならないので、他にも気になるスポットはあったのですが、今回はスルー。
ま、又来ることも出来るでしょう。
同じ四国の中ですから。
久しぶりに、ナナハン様を乗り倒してやりましたです。
すっきりしました。
先日、チェーン交換を無事に終えたナナハン様です。
ネット上で気になる場所があり、高知の南国市まで行って帰ってきました。
昨日は、明けで昼寝したため、夜中の三時近くまで起きていましたが、8時前には目が覚めて9時には出発できました。
酷道193号線の塩江街道から徳島方面に。
県道12号線を走ってると、うどんの文字が見えてきてお店の前に行くと暖簾が下がっていて営業中だったので、入りますです。
メニューはこんな感じ。
お安いお値段です。
醤油の三玉を頼みましたが、出てきたのは二玉。
余程腹が空いていたのか、写真撮り忘れました(笑)
こちらの讃岐うどんと比べると、あまり腰の無い麺では有りましたが、薬味として付いてくる辛子がいい塩梅で、ズルズルッと行っちゃいました。
大歩危小歩危方面を目指して、途中から32号線に。
ひたすら南国市を目指して走りまする。
チェーン交換のおかげか、なんか車体が軽くなった様な感じ。
1800キロの中古で買ったときも、こんな感じだったんでしょうね。
とは言っても、結構マメに自作のチェーンオイルを指していたおかげか、その差はわずかな物ではあるのですが。
ただ、スプロケをケチったのが、今後どの様な影響が出てくるのか不明。
センスタかけて、ギア入れてやると伸びの無いはずのチェーンが所々波打ってますから(笑)
削れて無い様でも、スプロケット様は微妙に消耗されているようです。
ま、そんなこんなで無事に南国市に入りまして。
国道55号線で高知竜馬空港方面をめざします。
かつての大河ドラマの影響もあってか、竜馬の名前があちこちで目に付きます。
葬祭ホールにまで竜馬が付いてましたが、写真撮ってくれば良かった。
んで、前浜はこっち!と言う青看板に従い右折いたしますると。
戦時中の掩体壕がポコポコ見えてきます。
住宅地の中の畑や田んぼの中に全部で七つだったかな?壊されずにそのまま残っております。
ちょっと屋根に上ってみる事にいたしました。
これまでの物に比べると一番でかい掩体壕。
ナナハンが米粒のように見えまする。
爆撃機クラスでも入っていたものでしょうか。
この竜馬空港そのものが、昔は航空基地だったそうで、偵察隊の練習を主に行っていたそうですが、戦局が悪化すると、練習機の白菊に250キロ爆弾を二つぶら下げて作戦に参加したんだそう。
ここの基地の事を調べてみると、村を一つ潰して基地を作ったんだそうな。
それも、国からの命令だからとっとと出て行けっちゅう事で。
で、立ち退き料としてもらった5円だか10円だか忘れたけど、そんなお金を貰っても、次の場所で畑を買うことが出来なくて往生したと言うエピソードも残っているらしい。
それにしても。
白菊。
今の時代で言えばセスナみたいな物でしょうか。
自爆攻撃するしかない様な状態まで追い詰められて、仕舞には練習機まで借り出されてく。
当時のアメリカ様の対空砲火は、玉の中にレーダーが仕組まれて飛行機のそばを通過すると、それを察知して至近距離で炸裂してバタバタと落とされていたなんて話がNHKの特集で言われていました。
だから、大本営放送の流していた戦果殆ど嘘だと。
司馬遼太郎の何の小説だったか忘れたけど、アレはれっきとしたマスコミ操作に国民が騙されたと書かれていたのを思い出します。
そんな事実を頭の中に入れて、知覧の特攻記念館に保管されている、当時の飛行兵たちの家族に宛てた手紙見たらホントに涙が出てくるよ。
バタバタと目的を達成できずに海に沈んで行く命が殆ど。
それでも、今日は何隻沈めた。勝利したと。
しかし、どんどん戦地が本土に近づいてくる。
当時の世論の中、純粋に日本を守るために飛んでいった人たちの気持ちには敬意を払います。
ただね。
むしろこれを反面教師として、きちんと情報を精査する目を国民一人一人が持って、おかしな世論に流されない様にしていく事こそ、この人達の死を無駄にしない事になるんだと思います。
隣の大国と何やらきな臭い感じもするし、勝てもしない相手に勝てる勝てる。
今の時代も、なんか当時とあまり変わってない感じしないですか?
ほんと。
かつての航空基地も、いまではのどか風景。
確認できなかったのですが、掩体壕の中にはグラマンからの機銃掃射の縦走が60箇所も確認できる物もあったそうな。
この辺も、もしかしたら不発弾とか出てくるかもしれませんね。
さて、帰り道。
貧乏になってしまったので、昼食はこれ。
アンパンとクリームパン。
旨し!
32号線も山間部はあまり車が走っていませんので、いいペースで走れます。
大歩危小歩危を過ぎた辺りに、いくつか吊橋が掛かっておりまして。
前々から気になっていたので、ちょっと歩いてみる事に。
写真の角度からもお分かりの通り、高所恐怖症の為、真ん中まですらも行けなかったという・・・・
なんかの点検用の橋で、通行は規制してないようですが、観光目的で渡って何かあっても責任はもちませんよ!と別の橋の入り口には看板がたってました。
夜は母親のいる病院まで出張らなくてはならないので、他にも気になるスポットはあったのですが、今回はスルー。
ま、又来ることも出来るでしょう。
同じ四国の中ですから。
久しぶりに、ナナハン様を乗り倒してやりましたです。
すっきりしました。